写真に残さなくても、いい休日だったと言える
休日の写真を選ぼうとして、カメラロールにほとんど何もないと気づく。そんな日を「何もしなかった日」に数えてしまうのは、ちょっともったいない。おいしいものを食べたり、遠くへ出かけたりしなくても、ちゃんと楽しんだ時間はある。バドミントンも、写真だけでは伝えにくい遊びのひとつだと思う。今回は、何かを残すことより、その場で遊ぶことを楽しむ、という話。
カメラに収まらない部分が面白い
バドミントンの写真を見ると、ラケットを構えている姿や、ネットを挟んだコートの様子はわかる。でも、飛んできたシャトルが思ったより近かった感覚や、届くかどうか迷いながら踏み出した一歩までは、なかなか写らない。
ほんの数秒のラリーにも、目で追って、足を動かして、ラケットを出すという細かな出来事が詰まっている。あとから順番に説明するのは難しくても、やっている間は確かに面白い。そんなその場だけの手応えが、この遊びにはある。
もちろん、写真を撮る楽しさを否定したいわけじゃない。記念の一枚があるのもうれしいし、予定を振り返るきっかけにもなる。ただ、うまく撮れなかったからといって、楽しさまで減るわけではないよね。
ネットを越えたシャトルは、すぐ次の動きにつながっていく。見返すための形に整えるより、まず目の前の一球に反応する。残すより先に味わう時間があってもいい。
人に見せるための「いい場面」はいらない
何かを紹介しようとすると、わかりやすい見どころを探したくなる。旅行なら景色、料理なら盛りつけ。スポーツなら、鋭いスマッシュや格好よく決まった一打が、紹介しやすい場面かもしれない。
でも、自分で遊ぶときの面白さは、そういう場面ばかりではない。高く上がったシャトルを待っている間も、サーブを打つ前に立つ位置を決めるときも、すでに遊びの中にいる。派手な一打がなくても、楽しんでいる本人には十分だったりする。
女性や初心者が多く、レベルもさまざまなサークルだから、コートにあるのは見栄えのするプレーだけではない。ラケットの真ん中に当たらないことも、返そうとした方向と違うほうへ飛ぶこともある。そういう一球を、わざわざ失敗集としてまとめる必要だってない。
誰かに見せるなら出来栄えが気になるけれど、自分で遊ぶなら、もっと自由でいい。発表する予定のない趣味としてラケットを持つと、上手に見せようとする力を少し抜けるかもしれない。
振り返りも、細かく採点しなくていい
運動した時間や歩数を記録するのが好きな人もいる。数字が並ぶと励みになるし、続ける楽しさもある。一方で、趣味まで全部記録しようとすると、入力することや目標を埋めることが気になってしまう場合もある。
バドミントンをした日も、必ず成果を整理しなくて大丈夫。「今日は何ができるようになった?」に、毎回答えを用意しなくていい。上達を目指す日があってもいいし、ただ遊んで帰る日があってもいいんだと思う。
もし帰り道に少し振り返りたくなったら、こんなくらいの大まかさでも十分。
・今日は体を動かした感じがする
・もう少し打っていたかった
・今はおなかがすいている
技術の評価にも、立派な感想にもなっていないけれど、それで困ることはない。体を使って過ごした時間は、必ずしも文章や数字に置き換えなくていいものだから。
あとで細部を思い出せなくても、その時間がなくなるわけではない。記録の量と満足は別。そう考えると、休日の終わりに「何か残さなきゃ」と慌てなくて済みそうだ。
持ち帰るのは、道具よりも今日の感覚
趣味を始めるときは、専用の道具を揃えたり、使ったものを並べて眺めたりするのも楽しい。ただ、まず遊びたいだけなら、持ち物は少ないほうが気楽なこともある。
このサークルではラケットを借りられるので、持ち物は室内靴だけで大丈夫。自分のラケットを買ってからでなくても、バドミントンを楽しむ時間はつくれる。当日参加も歓迎しているので、予定が空いた日に選ぶ過ごし方のひとつにしてもらえたらうれしい。
和気あいあいとした雰囲気の中でシャトルを打って、休んで、またコートに入る。その繰り返しは、外から見ると似たような場面に見えるかもしれない。でも、やっている本人にとっては、一球ごとに違う時間だ。
帰るとき、スマホに新しい写真が一枚も増えていなくてもいい。誰かに聞かれたら「バドミントンしてきた」の一言で終わってもいい。詳しく説明できることだけが、休日の価値ではないから。
ラケットを返して、室内靴をしまって、いつもの靴に履き替える。手元には大したものが増えていなくても、今日は遊んだな、という感覚が残れば十分。見せなくても満足できる時間を、コートで過ごしてみませんか。